2017年10月10日(火)@浜離宮朝日ホール
ヴァレリー・アファナシエフ氏 ピアノ・リサイタルに行った記録

[行くまでの経緯] 長いので飛ばす

わたしがアファナシエフ氏を知ったのは彼の著作がきっかけである。
とにかく何でもいいからピアノに関連する本を探して本屋をうろついていたら
講談社選書メチエの『ピアニストのノート』という氏の本が目についた。
タイトルに釣られて立ち読みもせずに買って帰った。
読んでみたら、教養を求められる難解な随筆だった。
ある1人のピアニストが思うままに書きしたためたノートといった感じだった。
まさに“ピアニストのノート”、タイトル通りとは恐れ入った。
一部のエピソードを除くと、ほぼ哲学的な思索や知識の連想で埋められており
残念ながらわたしにはほとんど理解できなかった。
分かる範囲でまとめると、
“演奏家というのは偉大なる作曲家の作品を守り、継承していかねばならない。
 商業主義やショービジネスにのまれて音楽を壊してはいけない。”
といった内容になるのだろうか。

一体この人はどんな音楽家なのか?と疑問に思ったので
ベートーヴェンの三大ソナタのCDを買って聴いてみた……

悲愴の最初の和音を聞いてたまげてしまった。
なんなんだこれは。ピアノってこんな風に鳴る楽器だったのか。
立体感があって、広い空間を感じる演奏だった。
本は読みにくかったがCDはとてもわかりやすかった。


CDを聴いて氏に興味を持ち、最近出た本も買って読んでみた。
講談社現代新書から出た『ピアニストは語る』である。
こちらの本は先の『ピアニストのノート』とは違い
インタビューをまとめたものなので大分読みやすかった。

感銘を受けた内容をまとめる。

“人生は錬金術。自分を「金 gold」に変えるための長い旅。
 人生で何が起ころうと、それを受け入れなければならない。
 すべてを「金」に変えなければならない。”

あと、印象に残っている箇所を引用する。

“もちろん、脳は活発に活動し、決して止まることなく、つねに発展を遂げていきます。
 その発展を止めることができるのは死だけです。脳の腐敗もまたひとつの発展といえますから。
 中身がすかすかの、骸骨のような詩を書くことだってできるのです。”

なんと素晴らしいことばだろう。
わたしは10年ほど無為に過ごしてしまい、
脳を徒に衰えさせてしまったと嘆いていたので
この本を読んで魂が救われるような思いがした。
この10年をいつか「金」に変える日がくるのだろう。

こういったことがあり、アファナシエフ氏はわたしの“憧れの王子様”になった。
古稀を迎えた男性を王子様と呼ぶのは正直どうかと思うが
わたしの好きな音楽家は100〜300歳年上の妻子持ち男性ばかりなので
今現在生きている独身の男性というだけで十分“王子様”なのである。
氏のコンサートに行くのが夢となり、そしてこの日、ついに現実となったのである。

[開演前]
日が沈んでもムシムシと暑い日だった。
浜離宮朝日ホールは初めて行くホール。
朝日新聞社の中を通っていくとは思わず、少しウロウロしてしまった。
オフィスの出入り口に駅の改札のようなゲートがあり、警備の人が立っている。
大企業って感じだ。

ホールにたどり着きホワイエで開場を待っていると、何故かピアノの音がする。
なんと、ホールの入口の扉が開いていて調律の音が漏れ聞こえていたのだ。
こういう会場もあるんだなあ。

18:30、開場したので中に入る。
浜離宮朝日ホールはきれいなシューボックス型。
「シューボックス型のホールはピアノリサイタルに最適」
と本で読んだので期待が膨らむ。
しかも今日のピアノはベーゼンドルファー。
ベーゼンに会うのは初めてなので大歓喜。
高音は丸め。中低音に穏やかな渋みがある。
今日のピアノは「まろやかベーゼンくん」と呼ぼう。
調律師さんは高音をかなり調整した後、中低音をさらっとみていた。
譜面台をセットし、道具を小さなキャリーケースにつめこむと去って行った。

開演まではいつも通りピアノの下半身を眺める。
キャスターのねじねじが花形でおしゃれ。
ペダルつっかい棒は金属の丸棒?とらえどころのない色。
黒のようにも灰色のようにも見える。
ピアノ椅子は背もたれつきのタイプ。

ボウグラスのような音のベルが鳴る。もうすぐ開演だ。

[前半]

ついにアファナシエフ氏の登場。
遠目に見ると部屋着にしか見えないいでたち。黒の上下。
肘のところまで腕まくりしている。
靴は普通の革靴のように見える。
やや微笑を浮かべておじぎのようなものをすると弾き始める。

前半の曲目。
・シューベルト 4つの即興曲 D899 Op.90
  第1番 ハ短調
  第3番 変ト長調
  第4番 変イ長調
・ラビノヴィチ 悲しみの音楽、時に悲劇的な

音が鳴りだしてまずびっくり。
さっき調律師さんが鳴らしていた音と全然違う。
これがアファナシエフ氏の音なのか。
まろやかベーゼンくんの応答もよいのだろう。
そして、ホールの空気にもびっくり。
本を読んだ印象で、厳格で張りつめた空気を構築すると想像していたが全然違った。
まるで、黄昏時、夕食のスープが煮えるまで
自宅の居間で手すさびに弾いているような、そんな穏やかな空気だった。
もしかすると、氏のゆるいいでたちと独特な脱力フォームのせいかもしれない。
あるいは曲目がシューベルトだからだろうか。
シューベルトのトリルにこだわりを感じた。
粒立ちがきめこまかく揃っている感じではないのに、味わい深く、美しい。

ラビノヴィチのこの曲は予習に挫折した曲。
Youtubeで動画を探してちょっと聞いただけで済ませてしまった。
その動画ではピアノの弦を直接手で触る内部奏法をしているシークエンスがあったが、
今日の演奏では内部奏法は行われなかった。
まろやかベーゼンくんに対する配慮から避けたのだろうか。
(内部奏法はピアノが傷むので、ホール所有のピアノだった場合、ホールは嫌がる)
もしくは、この曲には「偶然性の音楽」的な自由が奏者にあって
この日はたまたまやらなかったのかもしれない。
いかんせん楽譜を見ていないので元がどういう曲なのかわからなかったし
仮に楽譜と違う演奏が繰り広げられたとしても
奏者の構築した空間に身を任せればいいやと思ったので
特に気にせずゆったりとした気持ちで聴いた。
この曲だけ楽譜を見ながらの演奏で、奏者本人が譜めくりをしていた。
途中、楽譜を見失って迷子になったかのように見える場面もあったが
前述の通り「自宅の居間感」が場を支配していたのであまり気にならなかった。
単調なフレーズの繰り返しが多い曲だったので、氏の持っている音を堪能できた。

[休憩]
調律師さんが出てくるかなと思って待っていたら出てきた。
またしても高音部を直している。
だいたいどのコンサートでも高音を直している気がする。
高音の方が張りが強くてずれやすかったりするのだろうか。
作業が終わると、調律師さんは譜面台を取り外して持ち去っていく。

[後半]
後半の曲目。
・ブラームス 4つのバラード Op.10
  第1番 ニ短調「エドワード」
  第2番 ニ長調
  第3番 ロ短調
  第4番 ロ長調
・ブラームス 2つのラプソディー Op.79
  第1番 ロ短調
  第2番 ト短調

今日の曲目ではバラードが一番気に入った。
この2時間弱のうちで最も調和を感じた。
とてもリラックスした気持ちになった。

ラプソディーは一番楽しみにしていた。
若いころの作品かと思い込んでいたが、
プログラムの楽曲解説によるとブラームス46歳の作らしい。
その年でもこんな若々しい曲を書けるのか。
こっちのブラームスはバラードとはうって変わってハッキリした演奏だった。
間のとり方が実に独特。

[アンコール]
アンコールの曲目。
・ブラームス 幻想曲集 Op.116より 5番、6番

この曲は初めて聴いた。
現代音楽かと思ったらブラームスだった。
ブラームス、天才すぎやしませんかね?
交響曲はたまに聞くがピアノ曲はあまり聞いたことがなかったので
これを機にピアノ曲も開拓してみたくなった。

[閉演後]
全体を通して穏やかな演奏会だった。とても静かだった。
この静かというのは、ピアノの音が小さいとか、聴衆が息をひそめているとか
そういう意味ではなく、「動と静」の「静」である。
語れるほどコンサート通いをしているわけではないのでなんとも言えないが
今まで行った中ではアファナシエフ氏の作った空間はかなり特異だった。

本を読んだりCDを聴いて過剰に期待していたので、
もしも自分がイメージしている“アファナシエフ像”と
実物が違ったらどうしようという不安があったけれども、
イメージ通りで全く変わらなかったので嬉しかった。
逆に言うと、本やCDに嘘や虚飾がなかったということになる。

ホールを出ると人がたくさん!!
サイン会があるのだろうか、CDを持った人が行列をなしている。
帰路につく人々の中に調律師さんの姿を見かけた。
調律師さんの顔や姿を覚えていたわけではなく
開演前にステージ上で見たキャリーケースを携えていたので
今日の調律師さんだと認識出来たのだ。
コンサートチューナーの仕事というのは閉演とともに終わりなのだろうか。

 

本当はもっと音楽について書きたかったが、
言葉にしてしまうと、音が文字という虫ピンで刺されて標本になってしまう感じがする。
コンサートに行く度に記録を書いているくせに今更何を言うかという話だが
実は毎回その感覚があった。
(今日の音楽は)体の中しまっときたいよ?
体の中しまっといたらいつも一緒だもんね。

 

次は15日の紀尾井ホールの公演に行くよ

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