2018年11月30日(金)@調布市文化会館たづくり くすのきホール
森下唯 オールアルカン・ピアノリサイタル 特別編に行った記録

[行くまでの経緯] 長いので飛ばす
わたしがアルカンに興味を持つようになったそもそものきっかけは、
Johann Wilhelm Hasslerヨハン・ヴィルヘルム・ヘスラーという作曲家を知ったことに始まる。
わたしがいかにしてJ.W.ヘスラーに出会ったかは2017年の日記に書いたのでここでは割愛する。
名前すら初めて聞いたので、色々調べてみたところ、世界的にもあまり有名ではないようであった。
「知られていないだけで、色んな作曲家がいるんだなあ」と思った時に
ふと、ピアニート公爵というピアノ演奏家のことを思い出した。
「そういえば、昔ニコニコ動画でフィーバーしたピアニート公爵とかいう人が
 一般にあまり認知されていない作曲家を、本名名義で布教していた気がする…」
そのピアニート公爵というのが森下氏であり、その作曲家がアルカンだったのである。

このスケルツォ・フォコーソがきっかけで、アルカンを聴くようになった。
この動画は、投稿された当時も視聴したはずなのだが
当時は全く興味を覚えず、スルーしてしまっていた。
クラシック音楽というのは、ある程度受容体が発達していないと良さが分からないのかもしれない。


森下氏は既にアルカンのCDを出していたようなので、手に入れて聞いてみた。
1枚1枚が、リサイタルに行ったような気分にさせてくれる仕上がり。
どれも非常に洗練されている。
説得力があり「ああ、この曲ってこういう曲だったんだ」と感じる。
Op.15が好きなので、収録されている3を一番聴いている。

昔、ひどい解説のついたCDに出会ったことがって、
それ以来CDについているブックレットは読まない主義なのだが
演奏からアルカンへの並々ならぬトリビュートを感じたので
森下氏が書いている解説なら信頼できると思い、期待して読んでみた……
……玄人向けなのかな、素人には難しくてよくわからなかった。
わからないのであるが、アルカンの音楽を聴いた時の印象と
氏の文章を読んだ時の印象がそっくりで、なんだか笑ってしまった。
精神性が近いのかもしれない。

CDを聴いて大分満足していたが、今年の夏、
「CDを聴くと音楽を聴いたと錯覚しがちだが、
 録音物というのは、かつてこの世に一度だけ存在していた音楽の残滓に過ぎない。
 たとえ超一流のスタッフが最高の機材を使って収録しても、“音楽そのもの”をこの世に残すことはできない。
 “音楽そのもの”は、その音楽が奏でられたその場にいなければ永遠に享受できない。」
という考えになり、急にライブで聴きたくなったので、
今年の演奏会に行くことを決めたのである。

さて、オールアルカンプログラムの演奏会に集う聴衆というのは
きっと聴衆としてかなりハイレベルに違いないだろう。
そういう人たちの集まりの末席を汚すのであるから
今回はしっかり予習をしなければ!
と、一聴衆としてやる気に満ち溢れていたのだが……
9月は例年の季節性鬱で苦しみ、
10月は子連れの親戚の滞在の世話に奔走し、
11月は長年飼っていたペットが死んで錯乱状態……
なんと、全く予習することができなかった。
ええい、ままよ!
席でおとなしくして、飛び出し拍手さえしなければ聴衆として及第点だろ、
と半ばやけくそな気持ちで演奏会当日を迎えたのであった。

[開演前]
11月30日はアルカンの誕生日、開催日からして実に愛が深い演奏会である。
調布市文化会館たづくり くすのきホールは初めて行くホール。
文化会館ということで、ホール以外にもギャラリーなどがある複合施設のようだ。
インフォメーションに空港にあるような立派な電光掲示板があり、
各施設の催しや時間、主催者が掲示されていた。
くすのきホールのところを見ると、「個人利用」と表示されている。個人利用なのか…

18:30開場。すぐさまホールに入る。

ステージがちょっと変わっていて、奥行きがあり、やたらと段差がある。
ピアノ左後方とステージ上手のはじっこにビデオカメラがセッティングされている。
客席後方にも5台ものカメラが配置してあった。そんなに録るのか。

開場直後は調律師さんが調整中で、中低音を直していた。
ずいぶん大きい鞄が傍らに置いてある。
道具フルセットではなかろうか。なんでも直せそう。
作業が終わると鍵盤をクロスで丁寧に拭く。
クロスを替えて、鍵盤以外の部分も色々拭き回った後、去っていく。
調律師さんの作業を見終えたので、ホワイエに向かう。
7日に発売された新しいCDを買うためだ。
「最新盤ください」と係の人に頼んで買い求める。
ニコニコ応対してくれたので、なんだかこちらも妙に微笑んでしまう。
無事にCDも手に入れたので席に戻り、
開演までの間はいつも通りピアノの下半身を眺めて過ごす。

今日のピアノはスタインウェイ。
わたしが「スタインウェイ」と聞いて思い描いていた音が鳴るピアノだった。
全体的に芯があり、柔らかすぎず、クリアだがパワーがある。低音に若干の渋み。
今日のピアノは「真・スタインウェイくん」と呼ぼう。
気のせいかもしれんが、ちょっと音が高く感じる。

くすのきホールのベルはシンプルなブザー音。
実に文化会館的なサウンドだ。

[前半]
いよいよ開演である。
客席が暗く、ステージが明るくなり、ホワイトタイに身を包んだ森下氏が登場。
舞台袖の扉のところに段差があるので、ピョンと跳ねるようにしてステージに現れ
軽やかな足取りでピアノのところまでやってくる。
ピアノの前でピタっと止まると、ビシっと気をつけをしてから、お手本のような美しいお辞儀。
氏が椅子に腰かけると、ステージ中央以外は暗くなる。
考え込むような様子の後、猛然と音楽が始まる。

前半の曲目。
・大ソナタ 作品33
  1.「20歳」非常に速く
  2.「30歳:ファウストのように」十分に速く
  3.「40歳:幸せな家族」ゆっくりと
  4.「50歳:縛られたプロメテウス」極端にゆっくりと

リハーサルなどで体を温めているのであろうが、
このような悪魔的な技巧を要する楽曲で演奏会を始めるのは
なかなかクレイジーだと思う。凄まじい勢いだ。
予習をしていなかったので、少し気を抜くとあっという間に置いてけぼりにされてしまう。
なんだかえらくキテレツな運指の場面があったが
あれはどういう必然性があってあんなことになったのだろうか。
やはり予習なしで演奏会に臨むと、こういうところでつまづいてしまう。
(予習をしたところで自分で解決できたとは思えないが…)
怒涛の1,2楽章の後に訪れた3楽章のなんと美しいことか。
何の悩みも苦しみも感じなかった子供時代のようだ。
3楽章は「40歳:幸せな家族」なので、
どうやらわたしは40歳の人の子供視点になって聴いていたようだ。

この大ソナタは、楽章が進むにつれて盛り下がっていくイメージだったのだが
むしろ、ラストに向かって内包エネルギーが高まっていく曲であるということを知った。
最高潮まで凝縮されたエネルギーを一気に解き放ち、大ソナタはもといた静寂に帰っていった……
そう、そこまで聴こえたのだ。何故なら聴衆が拍手をしなかったから。
演奏者がそういう空気を作っているおかげでもあるが、
ここまで音楽を聴くことが出来た演奏会は初めてだったので感動してしまった。
みんなで音楽を見送った後、盛大な拍手。
森下氏は始まりの時のように美しいお辞儀をして袖に消えていった。

これまで聴いていたCDの印象では、
森下氏は「ガラスの城」のような冷徹な音楽空間を構築すると予想していたのだが、
実際に聴くと、冷徹ではあるが、かなり有機的でカラフルなタイプの音楽家だった。
CDよりもライブの方が断然良い。来てよかった。

[休憩]
席で待っていると、譜面台と最低限の道具を携えて調律師さんが登場。
譜面台をピアノの奥側にたてかけて、調整を始める。
真ん中あたりから高音に向かって修正していき、
上まで行ったらまた真ん中あたりから今度は低音に向かって直していく。
結構長い時間調整していた。

後半の演目がチェロソナタなので、
アシスタントの椅子、チェロ奏者用の台、譜面台、椅子などもセッティングされる。
チェロ奏者の台の上に、20cm×15cmくらいの板のようなものが置かれたのだが
あれはいったい何だったのだろうか。
演奏中は奏者の右足の前にあり、何の役割を果たしているのか分からなかった。

[後半]
後半の曲目。
・ピアノとチェロのための演奏会用ソナタ 作品47
  1.アレグロ・モルト
  2.アレグレッティーノ
  3.アダージョ
  4.サルタレッロ風のフィナーレ:プレスティッシモ

今日は、どちらかというと後半目当てで来た。
アルカンはまだよく知らないが、このチェロソナタは鼻歌で歌う程度に好きな曲である。
森下氏とチェロ奏者の長谷川陽子氏、そしてひっそりとアシスタントの方が登場。
長谷川氏は袖の無いフューシャピンクのドレス。
肩とおなかにキラキラがついていて、動くたびにきらめいている。
アシスタントの方はダークスーツかな。
それぞれが、それぞれの配置につき、さあ始まるぞ!
というところで客席で何か物音が発生。
ステージ上で微笑みがこぼれた後、やにわに音楽が始まる。
こんなにすぐ始まると思っていなかったので慌てる。
待って!ぜんぜん心の準備ができていない!
すぐに必死で音楽にしがみつく。

もう、始まった瞬間から終わりまで「好き!」という気持ちでいっぱいだった。
立体感と奥行きのある素晴らしいアンサンブル。
そして、とにかく、長谷川氏の音色がどこをとっても美しい。
一番好きな4楽章、乱れと言っても過言ではないほどの昂奮と高揚。
作曲家、演奏者、楽器、ホール、聴衆全てのバランスが神がかっていた。
前半とは全く毛色の違うエネルギーで空間が満たされていた。
この時間、この場所に存在することが出来てよかったと思った。

[アンコール]
アンコールの曲目。
・歌曲集 第5巻より「楽器の声」編曲:森下唯
・エスキス 48のモチーフより 無番「神を讃えん」

本音を言うと、どちらもとっつきにくい曲だった。
どちらかというと後者の方が好きだった。
瞑想的というか、哲学的というか、神秘的というか。
アルカンは玉っころの多い印象がある作曲家だったが
こういう音符の少ない曲でこそ光るのではなかろうか。

[閉演後]

チェロソナタがとてもよかったので、長谷川氏のCDも一枚買ってみた。
バッハのシャコンヌにひかれてこちらを選んだ。
後日、落ち着いた時間に聴いてみた。
音楽的に無垢だった頃を思い出させてくれる、安らぐ一枚だった。
でも、やっぱりライブの方が音色がよかったな。こればかりは致し方ない。


森下氏の最新盤も聴いてみた。
大ソナタが収録されているが、折角ライブでいい演奏を聴いたばかりなので、それ以外を聴く。
今回一番楽しみにしていたのはOp.23のサルタレッロ。
軽やかでエレガント!そう、まさにこれが聴きたかった。
そして、解説は相変わらず玄人向けだった。
これはわたしが勉強すれば解決するのだけれども……

*        *         *

とてもいい演奏会だった…今年行った中で一番かもしれない。
内容に対してチケットが安すぎるのが気になった。
まあ、安いのは嬉しいのだが、正当な対価を払いたい気持ちが残る。

アルカンは現代ピアノとの相性は良いと思うが、
ピリオド楽器による演奏会があっても面白そう。
当時、既にあんな楽曲に耐えられる楽器があったのが驚きだ。
そうか、ダブル・エスケープメントはもう出た後か。
だからこそ、アルカンはアルカンになったんだろうな。

閉演後のホワイエに、来年の演奏会は10月22日だと掲示されていた。
じゅうがつにじゅうににち……じゅうがつ……
勿論来年も行くつもりだが、他の行きたい演奏会と日時が被らないだろうか。
お願いだ、かぶらないでー!!!

 

独り言のページに戻る
演奏会の記録に戻る